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除夜の鐘付き

昨年ごろより巷では除夜の鐘についての騒音問題が物議を醸しているようです。

長文になりますが、見解を記したいと思います。

この問題ですが、初めて聞いた時は正直驚きましたし、とてもさみしい気持ちになりました。

世間の人々の働き方は様々で生活も多様化している今日なので、色々な捉え方をする人がいても仕方ないのかなとも思います。

そもそも鐘は法要の前に鳴らされるものでした。

昔であればお葬式です。誰かが仏になられたとき、それを知らせる、「みんな集まってくれよ」と呼び掛けてくれるものでした。

一説によるとそれが、時報として朝夕に、除夜の鐘として一年の終わりにつかれるようになったそうです。

鐘を聴くことで一日の終わりに感謝し、また新しい一日の無事を祈るという意味があります。

鐘の音は、大きな意味で自分の命と向き合うとても大切な節目となるのです。

そして、日本人にとって人の心にある煩悩を祓い心を清める除夜の鐘は宗教を越えた存在であると思います。

 

少々個人的な話になりますが我が家にも未就学の子供が二人おります。

0歳、1歳の頃はもう眠りについた時間だったので夜中に鐘が鳴ったことも分かってなかったかもしれませんが、

少し大きくなったころに、すぐ横で鳴る大きな鐘の音に怯えて一晩中泣いていたことを覚えています。

赤ちゃんを迎えた新米家族の私達は我が子気にしながら年を越しました。

ですので、「音」に対してナーバスになるのも身をもって理解できます。

しかし、この先80年生きる子供のたった数時間の除夜の鐘です。

一晩泣いたからといって排除してしまうのはとてももったいない事だと思うのです。

この先80年生きるとしても、たった80回しか聴くことができないのです。

私達はその限られた時間の中除夜の鐘を聴くことで日本人としての伝統や文化を継承し、また自分の命と向き合えるようなそんな年越しを次の世代に伝える役目があるように思えてならないからです。

楽しいイベント中の方、勉強中の方、子供をやっと寝かせた方、、多忙な中とは思いますが、鐘の鳴るその一瞬でも煩悩を祓いまた自分の命と向き合って欲しいと思います。

伝統や文化というものは、現代社会においては無駄で陳腐なものと思われるかもしれませんが、その無駄も積みあげてきた歴史と本来の意味を知ってなお楽しむくらいの心のゆとりがあってもいいのではないかと感じます。

 

例年通り西方寺では鐘つきを行います。

除夜の鐘つき開始時に、本堂では通常参拝と共に今年一年で亡くなられた方の法要を行います。

色々なご家庭があるかと存じますが、一人でも多くお寺に足を運んでいただき、鐘をついていただきたいと思います。

どうぞ、ご理解をお願いいたします。