西方寺の歴史

和暦 西暦 できごと
延喜12年 912年  天台宗として開基(玄昭阿闍梨 開山)
元亀2年 1571年 比叡山焼き討ちの際に焼失
寛永20年 1643年 浄土宗西方寺と公称
承応2年 1653年 現在地に寺域移転(旧願人坊跡)
昭和9年 1934年 旧本堂増築大修繕
昭和16年 1934年 旧庫裏改築
昭和37年  1962年  現鐘楼堂移築
平成5年  1993年  現本堂改築、竣工
平成7年  1995年  現庫裏・法成殿改築、竣工
平成16年  2004年  近江湖南二十七名刹霊場第二十番に登録
平成21年  2009年  びわ湖百八霊場第百番礼所に指定


子育て地蔵のお寺と呼ばれるまで

912年に建てられた西方寺は村のみんなから親しまれるお寺でした。しかし1571年、時の権力者の焼き討ちにより、消失してしまいます。村の人々は何とかお寺を守ろうと、焼け焦げたお地蔵様を救い出します。そしてこのお地蔵様が見つかってはいけないと、田んぼの中に隠しました。このお話は伝説となり語り継がれました。世の中が平和になった時、この話に基づいて仏様を探し出すことになりました。すると、田んぼの中から焼け焦げた痛々しい姿のお地蔵様が現れたのです。人々は新しい大きなお地蔵様を作り、その胎内に炭になったお地蔵様を納めました。修羅のような炎を受け止め、炭となられたお地蔵様は、今もの西方寺の仏様の中で、まるで胎内の赤ちゃんのように大切に守られています。それから後、西方寺のお地蔵様は子安地蔵、子育地蔵、子授地蔵などと呼ばれ親しまれ、子授祈願、安産祈願や水子の供養に訪れる人がたくさんおられます。西方寺にはその他にもお地蔵様がたくさんいらっしゃいます。それぞれ違ったお顔をしておられます。西方寺のお地蔵様をめぐるのも楽しいイベントの一つです。